目で見る「がん」展印象記
 読売新聞社が開催した今回の目で見る「がん」展』は、たまたま見学に行った、8/11(土)が、東京・お台場で『花火大会』が開催される日と重なり、大変な人で、ごった返していました。会場も大変盛況で、展示方式が人体を模式化して、足から頭まで、各臓器別の癌の展示と検査法・治療法や遺伝子治療や治療用超小型ロボットまで、歴史的経過が、一般市民によく判るように企画展示してありました。「癌の歴史」のコーナーは会場の中でも、特に明るく、スッキリ展示されていて、順天堂医学部客員教授・酒井シヅ先生の思想と豊富な知識が生かされ、日本のがん治療の歴史が、ハイステルの外科書からヒントを得て、華岡青洲が全身麻酔法を発見し、その手術法が全国各地で、実際に行なわれていたことや明治以後の癌研究の多くの先駆者の業績が展示紹介されていました。この展覧会にあわせて発行された『目で見る「がん」展』の図録の「がんとの闘いの歴史」の章、青洲関係の紹介のところで、酒井先生は「・・(前 略)・・青洲の門人たちが帰郷してからどれだけ華岡流手術を行ったかは、これまであまりわかっていませんでした。最近、美濃(岐阜県羽島市正木町不破一色)の不破家に伝わる、青洲の門人・不破為信廉斎(三嶋良策)と息子杏斎が行った手術図が公開されました。為信廉斎は、文政6年(1823)に青洲の門に入り、帰京後、美濃の地で息子杏斎と親子二代で100例を越える乳がんの手術を行い、手術図を残していたのです。二人は、青洲の外科に忠実であったばかりでなく、ガンが転移した腋下リンパ節の廓清手術も行っています。また、手術図に書き込まれた患者とのやりとりには、手術をするにあたって患者の同意を尊重している様子が見られます。このように青洲の外科はさらに発展しましたが、明治になり、日本の医学が西洋医学に改組された後、消えていきました。」と言う説明がありました。このブースの前では青洲や杏斎の掛け軸、手術記録絵図、華岡流外科手術用器具類の展示も興味を持って見ている人が多かったようです。若い人たちが『乳癌手術を江戸時代にしていたことを初めて知った・・・・・』と言っておられたのが印象的でした。(以上)