(1)西園流五世宗家・小原西園師 ご葬儀ご報告H21.08.07
(2)小原西園師の逝去 文・写真 中原 拡(拡盟) H21.08.11
御葬儀日程
平成21年8月5日(水)午後7時〜8時 お通夜。
告別式 8月6日(木)午前11時 ・・・撮影・四日市 近藤幽崖
以下・ご葬儀の模様・・・撮影・四日市 近藤幽崖
西園流五世宗家・小原西園師 ご葬儀ご報告(2)
小原西園師の逝去
文・写真 中原 拡
突然の訃報に驚いた。
西園流尺八道五世宗家 小原西園師が、8月3日(月)17時に亡くなった。昭和5年9月生まれ。享年78歳。悪性リンパ腫瘍と中日新聞記事にある。
実はこの日の午後に、尺八本曲東海連盟理事長の磯村琴保師から電話があり、「今度の竹供養のプログラムを何部印刷すれば?」という問い合わせだった。その時に磯村師が、「小原さんへ電話したら、病状が悪化して親戚が集まっているようだ」とのこと。小原師は今まで何回も中村日赤へ入退院を繰り返していたから、又それの繰り返しか?と思った。
その前の、6月28日(日)の「正和会」(小原師が世話をしていた)の時に小原師は体調不良で演奏しなかった。本人は会場に姿を現し指図をしていた。終わりの挨拶もやった。その時はマア〜マア〜元気かな?と思った。好きな尺八を吹けないというのは辛いことであろうと推察する。
この正和会が終わって数日後に、小原師から、次ページの手紙を貰う。見慣れた小原師の筆跡である。これを見て、かなり体力が無くなっているな?と感じた。しかし、今直ぐどうのこうのということはないと思った。 私が正和会世話人をやるにしては年をとりすぎている。直ぐに後釜を探さなくてはならなくなる。
ところが1か月後に訃報である。
小原師は、「西園流尺八道五世宗家」「尺八本曲東海連盟理事長」「正和会世話人」など沢山の尺八関係の要職をされている。これはご本人の円満な人柄で沢山の人達を惹きつけてきたからだ。このうち、尺八本曲東海連盟理事長だけは今年3月、理事長を磯村師へ交代したばかり。残りの二つ、「西園会」「正和会」の方はそのままである。ご本人もこんなに早くあの世へ旅立つとは思ってもいなかったのではないだろうか?
私はかねがね小原師に「後継者を早く指名して体を楽にしてはどうかしら?」と言っていた。琴古流で他流派の私がよその流派のことを言うのは誠におこがましい限りだ。ご本人も分かっていることだろう。後継者というのは決めるのが難しい。その点尺八本曲東海連盟はスンナリと決まった。
小原師死去の第一報は8月3日夜今井 勉師のお母さんからだ。
それから私の関係者に電話をする。小原師の交際範囲は広いので大変だ。
・通夜 8月5日(水) 17:00〜
・葬儀 8月6日(木) 10:00〜
・場所 平安会館 中村斎場
・喪主 小原慎吾(長男)
5、小原師の通夜
16:30頃、地下鉄「中村公園前」で下車したら、尺八仲間の水鳥さんと一緒になる。
会場の平安閣まで少し歩く。小雨模様だ。 宮川さんが受付をやっている。たまたまカメラを持っていたので宮川さんから、葬儀の様子を撮影するように依頼される。
杖をついた奥様に挨拶をする。
祭壇の小原さんは髭を生やし貫禄十分だ
両脇の花輪は尺八・琴関係のが多い。
定刻少し前に、会場が暗くなり、DVDで生前の小原師の様子を写真入りで映し出される。家族との団欒・旅行・大阪外語大学前など故人の面影が良く分かるように編集されている。見ているうちに涙が出てくる。
やがて読経が始まり、しめやかに通夜開始。朗々とした和尚のお経だ。通夜が終わったのが、20:30。それから山口宗園さんと二人で、中村公園前の交差点近くの「千年の宴」へ行き故人をしのび一杯やる。家に帰ったら23時過ぎだ。
翌8月6日(水)10:00から葬儀。
30分前に会場へ駆け付ける。尺八関係者が圧倒的に多い。
開式前に、昨夜と同じDVDが暗くした会場に流される。
定刻になり、3名の僧侶で葬儀が行われる。
弔辞は多治見の大釈艸園さんが、故人の経歴を含め簡潔に、個人への思いを込めて述べる。なかなか良い弔辞で感激する。後は家族・親族・関係者のお参りと続く。奥さんが不自由な足で立っているのが気の毒である。棺を閉じる際、西園流関係者が揃って、尺八演奏をする。
(DVDの奥様と共に) (DVDの在りし日の面影) (葬儀の様子) (大釈さんの弔辞)
(西園流の皆さんの演奏) (同じく尺八演奏) (答礼の子息・奥様・お嬢さん) (霊柩車へ向かう)
葬儀が終わったのは午前11:00時、丁度。
故・小原師に相応しい盛大な葬儀であった。 以上