岐阜県大垣市赤坂
3・御茶屋屋敷.(矢橋家)
御茶屋屋敷は、江戸と京都を結ぶ上洛の旅に際しての、将軍(徳川家康)専用の宿舎として慶長9年(604)に造営されたものと言われ、創建当時の建物は、織田信長が建てた岐阜城の千畳屋敷御殿を移設した。家康や、2代将軍秀忠、及び千姫も泊まったと言う伝承があります。城郭建築様式により周囲に巡らせた土塁、空堀なとの遺構が竹薮で囲まれて、確かに東側は崖になっており、遺構が偲ばれます。将軍などの休泊施設で大規模なものを御殿といい、小規模なものを御茶屋といった。 中山道筋に残る御茶屋としては唯一の遺構、大垣市の指定文化財。明治維新時に払い下けられて以来、宿本陣であった矢橋家が管理して居られるそうです。現在内部は約3000株の牡丹を有する牡丹園としても知られています。
御茶屋屋敷の北側は金生山採掘現場でした。
3・御茶屋屋敷.(矢橋家)
おしまい