岐阜県大垣市青墓・粉糠山古墳(あおはか・こぬかやま こふん)

大垣市青墓町1丁目 粉糠山の由来・・・この塚はここ青墓の宿場が盛んな頃、遊女達が朝夕の化粧に使った粉糠を捨てたのが積もり重なって小山となったので、「粉糠山」と呼ばれるようになったと言う伝説がありますが、いかにも作り話と思われ悲しい境遇の遊女の亡骸を古墳の隅にお祭りしたのが始まりで、現在のハリネズミの様に、この地区の真新しいお墓が異様に林立して造られたのかと想像してみていました。 青墓の「粉糠山古墳」は「前方後墳」としては東海地方で最大規模で、長さ100m、後方部一辺の長さ50m、前方部の幅は45mもあります。青墓の名は間違いなくこ「大墓」が濁って「青墓」地区の名前に成り、いつからか青墓古墳にが遊女の里があったことから、遊女の肌を磨く化粧に使った「紛糠」因んだ「粉糠山古墳」となったものではないでしょうか。







前方後方墳の後方墳に当たるところです。

前方後方墳の上の墓石は針山みたいで一見異様です。

前方後方墳の石垣

前方後方墳の北西部

これは前方後方墳の北側です。

前方後方墳の上の新しいお墓

車の向こう側の土手はJR東海道線下り線です。


北に見えるのは金生山
青墓・粉糠山古墳(あおはか・こふんやま こふん)
     おしまい