岐阜市北西部
3眉山・鎧塚古墳(びざん-よろいづか)
眉山(231.3m)の山名の由来は、江戸後期の学者、頼山陽が美濃の門人を訪ね、帰路西粟野の庄屋河野家に立ち寄った時に『眉を引いたように優美な山容』に感じて名付けたと言われている。山頂への道は頂上のNTTDoKoMoの電波塔の管理のための道なので自動車道になっていますが、一般者車は入れないように登り口は鎖ゲートになっていました。徒歩で30分で頂上へゆけました。鎧塚古墳は昭和63年に調査されてから、手が入っていないのか雑木が一杯生えて、古墳の形は見通しが悪く、全体像はつかめません。
NTT DoCoMoの通信施設専用道路のため、車では入れません。
ひ眉山の南麓、打越集落。
スミレの群集落
眉山の中腹より南方城田寺の小山。その先は岐阜市鷺山当り。
この左の崖上が鎧塚古墳らしい。
NTT DoCoMoの通信施設が後円部に接して建っていました。
鎧塚古墳の門扉。
門扉を潜ると、いきなり葺石と思われる礫が散乱していました。
門扉を潜ると、いきなり葺石と思われる礫が散乱していました。
門扉を潜ると、いきなり葺石と思われる礫が散乱していました。
後方部頂上部にある小祠。
後方部頂上部には三角点。見晴らしは全く効かない。四方八方雑木だけ。
後方部頂上部。
後方部から見た前方部に続く尾根。
くびれ部方部から見た前方部に続く尾根。前方部に建物が・・・。
前方部から見た後方部に続く尾根。
前方部から見た後方部に続く尾根。
前方部から見たくびれ部の曲線。
前方部のほぼ真上にたっているDoCoMoの通信施設。
多分、前方部の落ち込みの部分。
くびれ部から後円部を見上げた所。
眉山の北側から見た、岐阜市粟野〜岩野田北小学校付近。奥は高富。
眉山中腹から見た百々ヶ峯(どどがみね)
眉山中腹から見た金華山
岐阜市北西部
3眉山・鎧塚古墳(びざん-よろいづか)
おしまい