岐阜県各務原市
1.柄山古墳(からやま)
柄山(からやま)古墳は古くから瓦が散乱していたようで、「かわら山」が訛って「からやま」となったと言われています。独立丘で、西に琴塚古墳の他にもう一基、前方後円墳ががありましたが開墾のため開削されてしまいました。又、東側の山の頂上に
円墳2基、そして東南傾斜面に奈良時代の須恵器窯址群があったそうですが、昭和19年、食糧難から陸軍が開墾し、悉く開削しました。在野の考古学者の小川栄一氏が「時代がらやむを得ないとしても、前方後円墳だけは手を付けないように」と指示して保存になりましました。しかし、昭和32年岐阜市の郊外開発に伴って、前方後円墳を除く丘陵の史跡が悉く開削されてしまいました。この当時の農地解放後の住宅開発グループの力に圧されて、史跡管理の教育委員会は力が無く、佇んで見ているだけでした。おかげで、古墳の直ぐ際まで住宅が建ち、道路も細いのが古墳の周りをなぞるように、付いています。多分環濠もあったであろうと想像出来ますがかなり全体像ではひずんだ形で残っています。
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岐阜県各務原市 1.柄山古墳(からやま)
おしまい