岐阜県不破郡垂井町宮代代峯1734-1
  大領神社(たいりょうじんじゃ)

式内社 美濃國不破郡 大領神社
南宮大社摂社
旧郷社
御祭神 大領 宮勝木實命(たいりょう みやのすぐりのこのみのみこと)。
壬申の乱の際に、天武天皇に味方して不破関を守り、勝利に貢献した人物。壬申の乱後、不破郡を賜り大領となった。不破郡初代の大領である彼の事跡を慕って祭神の死後(霊亀元年、715年)、当地に祀られた神社で、当社は円墳の上にあるという説もある。 配祀 伊邪那美尊 速玉之男神 泉津事解之男神

岐阜県不破郡垂井町宮代森下765にあり、垂井駅の南1Kmほどの宮代に鎮座。
当社は、南宮大社の摂社にあたり、南宮大社の東500mと近い場所にあります。


大領神社西側面入り口

大領神社正面鳥居

正面鳥居と拝殿

大領神社正殿

大領神社 鳥居の社名の扁額

大領神社社殿は円墳の上に在る・・めと言われていますが、解りませんでした。

大領神社御由緒石碑






大領神社御由緒
祭神 不破大領 宮勝木實命
相殿脇神  熊野三神
歩射祭・一月十五日
例 祭・十月二日

 今を去る千参百年前天武天皇の壬申の乱に古来南宮大神に仕える宮勝木實命は天皇を己が館に迎え奉り直ちに一族を率いて不破の要衝を塞ぎ勝利の緒を開かれたと伝えられる 乱平定の後その功に依り不破郡を拝領 長官たる大領に任ぜられ更に大宝二年持統太上天皇御巡幸を迎え外従五位下の破格の恩賞に浴せられた。
 郷土の祖先等はその偉績を仰ぎ縁深きこの地に大領神社を創建してその厚き崇敬に依り御神威益々顕揚され美濃守の年頭巡拝には南宮大社に次いで美濃國二宮と仰がれ亦國幣に預かる官社に列され延喜式神名帳に載せられたる所謂式内社として御社名は広く世に知られるに至った。
 中世数百年に及ぶ動乱の時流にも郷土の氏神として よくこれを護持し来った処慶長五年関ヶ原合戦の兵火にかかって南宮社は炎上し時の祀職不破行治が寛永年間徳川幕府の直営普請に依ってこれを再建する時当社の本殿も共に造営 更に南宮社の假殿を移建して拝殿にあて神徳の昂揚社領の尊厳に盡きるところ洵に名大であった



大領神社御由緒石碑背面
岐阜県不破郡垂井町宮代・大領神社
      おしまい