4.愛知県-5.渥美半島・田原市
(1)吉胡貝塚(よしご かいづか)資料館
(2)田原市渥美郷土資料館(渥美半島中南部の縄文時代貝塚遺跡の資料館)
(3)伊川津貝塚
いかわず かいづか
(田原市観光ガイドより)
愛知県指定史跡
伊川津町郷中全体に広がる大貝塚です。神明社の境内では、1m以上の厚さで貝が堆積したところもあります。貝塚からは、縄文時代後期から晩期の遺物や人骨が出土し、中でも叉状研歯のある頭骨や有髯土偶は全国的に有名です。
国道259号線を伊良湖岬方面へ走り、伊川津の交差点を左に折れると、のどかな集落の中に伊川津神明社の鳥居が見えてきます。伊川津貝塚は伊川津郷中全体に広がる貝塚で、東西480m、南北240mの規模。伊川津神明社の境内もその一部で、1m以上の厚さで貝が堆積した部分もあるといいます。標高約2.5mの沖積台地に形成されていて、東西480m、南北240mの広範囲に及んでいます。
伊川津神明社の境内に足を踏み入れると、現在でも足元の地面に貝殻片が散乱しているのが見受けられます。この伊川津貝塚が全国的に知られているのは、183体もの人骨が発見されていること。この数は日本国内の貝塚では3番目の多さ。ちなみに1位は341体の吉胡遺跡なので、いかに渥美半島の縄文遺跡から人骨が多く見つかっているかが分かります。海と山に近く温暖な渥美半島の気候が、人々にとって住みやすい環境だったのでしょう。伊川津の住人はイノシシなどの野生動物の狩猟をし、山からは果物や木の実、海からは魚や貝を採って生活をしていたのでしょうか。
叉状研歯の謎
伊川津貝塚からは縄文時代後期から晩期の遺物が出土し、前歯がない抜歯された人骨が目につきます。当時の人は12歳頃の成人になると、大人の証拠として前歯を抜いていたらしいのです。人生の節目に歯を左右対称に抜き取る。これだけでも相当「痛い」風習なのですが、驚くなかれ、さらに身分の高い人は一番目立つ前歯に縦にみぞを彫っていたらしいのです。これを叉状研歯と呼んでいます。前歯にみぞを彫ることは、神経が傷つけられてしまうから、とても痛いこと。身分の高い人、または祭祀を司る人は、この苦痛に打ち勝ったということで人々から尊敬を集めていたと考えられています。それにしても、何とも荒々しい風習です。
人骨には石鏃で射られた痕のあるものや石斧で一撃されたと思われる頭蓋骨も見られ、別の集団との抗争があったと考えられています。もうひとつ、伊川津貝塚から出土した貴重な遺物としてよく知られているのが、ヒゲのある有髯土偶です。歴史の教科書で見たことがある人もいるかもしれません。ヒゲのある有髯土偶は、その顔立ちから日本人=北方民族説が起こるきっかけとなったとか。そんな論争をよそに、当の土偶は「そんなこと知らないよ」と知らんぷり。タヌキ寝入りしているかのような、何とも愛らしい表情に魅力を感じてしまいます。これらのレプリカが渥美郷土資料館の考古資料室に展示されているので、一度見ておいてはいかがでしょう。
4.愛知県-5.渥美半島・田原市
(1)吉胡貝塚(よしご かいづか)資料館
(2)田原市渥美郷土資料館(渥美半島中南部の縄文時代貝塚遺跡の資料館)
(3)伊川津貝塚(いかわず かいづか)・・・・・おしまい