薩摩義士 宝暦治水の儀没者の慰霊寺
薩摩義士菩提寺(別院・江吉良 清江寺・狐穴 少林寺)ご紹介

1 別院 薩摩義士・幕府目付 義人  竹中伝六墓所
2 薩摩義士菩提寺・江吉良 清江寺
3 薩摩義士菩提寺・狐穴 少林寺
4 宝暦治水薩摩義士の墓所・史跡(リンク)



別院 薩摩義士・幕府目付 義人  竹中伝六墓所

親鴛聖人が上洛の際、三河で尾張葉栗郡の住人が、親鴛聖人の教を聞き帰依し
草庵を立てたのが起源といわれる。その後、蓮卸上人の下向された際、草庵を再
興され、「河野御坊」(河野九門徒)と名付けられ、その後「専福寺」と改称されたが
1886年に「竹鼻別院」となったいきさつがある。

 墓地・大谷派別院  岐阜県羽島市竹鼻町大正町


法名・春光院釈法善  生地・武州江戸本郷町住 享年 29才
宝暦5年 1月13日割腹にて自害。自刃の真意は遺書が無く不明。
木曽・長良川の分流工事の幕府方御小人目付として赴任。薩摩義士へ
の度重なる工事妨害に付いて、幕府方と薩摩義士方の板ばさみと
なり、工事監督上の責を負って自刃した。後年、妻が美濃後を訪ね、
墓を建て弔ったものが、この墓の原型であるという。





薩摩義士菩提寺・江吉良 清江寺
(曹洞宗)
墓地・羽島市江吉良町451






江吉良町にあるこのお寺には、薩摩藩士で一之手に属し逆川締切などの難工事に従事した
瀬戸山石助、平山牧右衛門、大山市兵衛のお墓があります。(県史跡)







瀬戸山石助 一の手奉行 宝暦4年8月9日割腹

        辞世の句 『今ここに 死するこの身は ちるとも                   
                      我が
誠心は 千代にへも』

平山牧右衛門 一の手副奉行 宝暦4年8月15日割腹

        辞世の句 『をなめ 薪にねて なしたれど 

                      へざるは 財布尻なり』


大山市兵衛 一の手副奉行 宝暦4年8月21日割腹

        辞世の句 『る身も 何時の世にか 浮かびなん

                      鉄の御船の 櫓櫂板よりに』

三名がそれぞれの初七日法要をすませてから、次々と割腹しています。

毎年6月第4日曜日(今年は6月20日)に追悼法要がおこなわれています。








薩摩義士菩提寺・狐穴 少林寺

墓地・竹鼻町狐穴川口740

少林寺には薩摩藩士永山権四郎の仲間、家山紹珍のお墓があります。(県史跡)
墓は寺の本堂裏 西北の隅にあります。