逆川用水・羽島用水
明治-大正-昭和の歴史外伝--2006.11.17 掲載
水に溢れ、渇水に泣く羽島の地を肥沃な田園に変えた先人の功績を顕彰
今回は 安藤迂言あんどううげん(羽島市小熊町)の業績顕彰
獅子門美濃派俳諧 安藤迂言 好々園
美濃派俳諧 獅子門 道統二十二世 安藤迂言 好々園迂言と号す文化人であり
郷土のために、水に溢れ、渇水に泣いていた、現在では羽島の美田の代表格の足近坂井
地区から南之川-内粟野-外粟野-天王-西小熊地区の用水路建設に尽力し、肥沃な農地
をもたらしました。
獅子門美濃派俳句 安藤迂言 好々園
執筆に「加護能登理 かごのとり」明治37年10月20日 発行
小熊町粟野の白山神社の旧・竹鼻-墨俣街道の北東にある粟野墓地
にあるいかにも歌人・文化人好みの自然石が安藤迂言氏の墓碑となっている。
「足近川」の用水建設に尽力した安藤迂言
安藤迂言氏が残して「足近川用水」邸慕報には桜並木になっている。
一旦真東に伸び、小熊町天王の東地区から一本はそのまま小熊町江頭の北川を東に向かい、羽島中学校の前を東に向かい正木町すか松枝用水とと繋がっている。
旧街道・外粟野から東を向いた足近川
獅子門美濃派俳諧 安藤迂言 好々園と「加護能登理 かごのとり」
美濃派俳諧 獅子門 道統二十二世 安藤迂言 好々園迂言と号す文化人であり
郷土のために、水に溢れ、渇水に泣いていた、現在では羽島の美田の代表格の足近坂井
地区から南之川-内粟野-外粟野-天王-西小熊地区の用水路建設に尽力し、肥沃な農地
をもたらしました。一方、文化方面では、美濃派俳諧をリードし、指導的立場にあり、若いとき
の用水事業で体を痛めていたのであろうか、当時石川啄木や正岡子規も苦しんだ
「不治の病」と恐れられた「肺結核症」に自らが罹り、病院の窓から見た四季折々の歌を残
した。「加護能登理」は文字どうり「籠の鳥」の如く世の中から隔離の身なった折の、歌を作る
以外に所在無さを歌った歌集ではある。同好の志・弟子達の尽力で死後、庚申中秋、歌集
「加護能登理」として発刊された。貴重な原本が見つかったので、一部掲載しました。
獅子門美濃派俳句 安藤迂言 好々園 書編 和紙 活版印刷 全27枚 半切 54ページ 紐閉じ
「加護能登理 かごのとり」明治37年10月20日 発行
美濃派俳諧 獅子門 道統二十二世 安藤迂言 好々園迂言 古稀一歳・・・70歳の写真か?
此処から途中、大部分掲載省略。
安藤迂言 追懐
白雲に 飛んてかへらす 放ち鳥
安藤 庄之助
安藤迂言
獅子門道統二二世 安藤迂言
獅子門美濃派俳句資料館 安藤迂言
(訳)
鳥のねもにほうやはるの朝ぼらけ 好々園 (画)雨舟
美濃派(獅子門道統)系譜
1世 松尾芭蕉 (1644-1694)
2世 各務支考 (1665-1731)
3世 仙石廬元坊 (1688-1747)
4世 田中五竹坊 (1700-1780)
(以哉派と再和派に分裂)
【再和派】
5世 河村再和坊 (1725-1786)
6世 佐々木森々庵 (1733-1798)
7世 多賀雨岡庵 (1742-1812)
8世 渡辺一楽庵 (1752-1817)
9世 多賀徐風庵 (1772-1832)
10世 田中五竹庵 (1776-1830)
11世 高橋遅楽庵 (1758-1845)
12世 市橋梔庵 (1776-1853)
13世 国枝廬松庵 (1796-1875)
14世 戸倉耕月庵 (1810-1871)
15世 長沼麦庵 (1739-1810)
16世 神野曙庵 (1829-1906)
17世 塩谷千秋庵 (1833-1919)
18世 錦見古今庵 (1846-1920)
19世 石田一味庵 (1866-1939)
20世 千葉汀庵 (1863-1943)
21世 野田徐庵 (1881-1956)
22世 高橋杜鵑庵 (1890-1967)
23世 高橋旭庵 (1883-1968)
24世 田中盤古庵 (1894-1974)
25世 丹羽玄々庵 (1884-1973)
【以哉派】
5世 安田以哉坊 (1715-1780)
6世 大野是什坊 (1726-1793)
7世 野村白寿坊 (1738-1817)
8世 岡崎風廬坊 (1745-1812)
9世 山本友左坊 (1756-1846)
10世 浅野逸歩仙 (1768-1837)
11世 青木奚花坊 (1735-1822)
12世 石原士游 (1780-1849)
13世 高木巒化 (1799-1880)
14世 桑原右麦 (1806-1856)
15世 国井化月坊 (1793-1870)
16世 大谷文寿坊 (1856-1938)
17世 棚橋碌々翁 (1817-1896)
18世 田中専雅 (1813-1891)
19世 大野夢外仙 (1822-1897)
20世 清水一瓢 (1825-1901)
21世 西松吟風 (1829-1895)
22世 安藤迂言 (1831-1902)
23世 川合文化 (1895-1965)
24世 三浦雲居 (1831-1912)
25世 熊谷夜城 (1901-1968)
26世 国枝静也 (1843-1918)
27世 長屋其馨 (1843-1918)
28世 森桂園 (1854-1929)
29世 山田三秋 (1875-1940)
30世 南谷翠濤 (1873-1947))
31世 恩田憲和 (1872-1947)
1973(昭和48年)、両派合同
32世 高橋清斗 (1879-1958)
33世 足立吾柳 (1876-1953)
34世 武藤景行 (1891-1979)
35世 益井一鴎 (1884-1969)
36世 河井一白 (1925-1979)
37世 各務於菟 (1900-1984)
38世 澤田蘆月
39世 國島十雨
「加護能登理--かごのとり」明治37年10月20日 発行