(d)華岡青洲・不破為信親子二代の対照年表   

西暦   和 暦     人 名/年 齢・没年       事        柄     
青洲 迪翁 廉斎 杏斎
1760 宝暦 十年 誕生 十月二十三日 青洲・和歌山県那賀郡
長町平山に生まれる。幼名震、通称・雲平
1770 明和 七年 誕生 迪翁生まれる。
1782 天明 二年 23歳 青洲・京都に遊学。
1785  天明 五年  26 青洲・紀州和歌山に帰郷。
1804 文化 元年 45 十月十三日青洲全身麻酔による乳癌
摘出手術成功(世界に先駆ける事38年)
1805 文化 二年 25歳 誕生 廉斎 幼名・良策生まれる。
1809 文化 六年 50歳 三嶋 瓊(ケイ)後の佐藤円仲(迪翁末弟)
大阪中之島・華岡鹿城の合水堂に入門。

1823  

文政 六年 64歳 52歳 19歳 十一月朔廉斎・三嶋良策春林軒入門
1825      文政 八年  66歳 廉斎『熊野道中雑記』を書く。(九月十日
〜九月十四日)「文政八年三月」の年号入り青洲像を授かり、十月頃 廉斎帰郷。
1829   文政十二年 25歳 誕生 十二月七日 杏斎幼名・良策生まれる
1832 天保 三年 63歳 28歳 十二月二十九日 迪翁没。63歳
1835 天保 六年 青洲
76歳
十月二日 青洲没。76歳
1849 嘉永 二年 45歳 廉斎 三嶋姓から不破姓に戻る。
1850 嘉永 三年 22歳 二月 杏斎、京都・高階経宣に入門。
1852 嘉永 五年 48歳 十二月 杏斎 京都より帰郷
1859 安政 六年 31歳 四月 廉斎引退。杏斎医業継承。
1860 萬延 元年 廉斎
56歳
八月十四日 廉斎没。死去に際し「絶命の詩」を遺す。
1861 文久 元年 33歳 二月 杏斎 皇女・和宮様御下向ニ付き 河渡
宿へ出役・
・・・・手控記録を書く。
1868 慶応 四年 40歳 四月 杏斎「医療継承嘆願書」を書く。
1884 明治十七年 56歳 二世・五姓田芳柳、杏斎の肖像を画く。
1899 明治三二年 杏斎
71歳
五月十三日 杏斎没 71歳(晩年の写真)